ハセガワ 1/700 加賀(真珠湾攻撃時)

1941年4月、空母を主力とした第一航空艦隊が編成されてから、加賀は赤城と共に交代で旗艦を務めるなど、艦隊の主力でありました。 人気の点では赤城に一歩譲るものの、当時としては他国に引けをとらない大型の空母の一つであり、水上機母艦「若宮」を除けば、実戦に参加した世界初の空母という記念すべき艦でもあります。

しかし、初めて実戦に投入された支那事変では、杭州爆撃に出撃した艦攻12機のうち、帰還は一機のみという大損害や、 真珠湾攻撃では加賀所属機の未帰還機が一番多かったりと、不運も付きまとっているように思えます。
加賀の特徴の一つに、飛行甲板前部に設置される予定だったカタパルトの軌条跡があります。
結局、日本の空母はカタパルトの実用化はできず、発艦するためには艦を高速で走らせ、向かい風を得なければならなかったり、艦載機の発艦順序も限られてしまったりと、非効率な方法を取るしかありませんでした。
でも、もしカタパルトが実用化されていたらどんな設備になっていたのだろうと興味は尽きません。
赤城の飛行甲板は、艦尾に行くにしたがって低く下がっていたのが特徴でしたが、加賀の飛行甲板は、それとは逆に艦尾の方が高くなっています。
戦闘機を逆方向から着艦させるためと言われていますが、着艦時にも向かい風が無くてはならないため、複葉機の時代以外には意味の無いものでしょう。
キットでは再現されておらず、この作例でも再現できませんでした。1/700の場合、前後の高低差は2mmくらいという微妙な寸法となります。
真珠湾攻撃というアイデア自体は山本長官でしたが、実際に可能か不可能かと、具体的な計画を立てたのは第一航空戦隊の航空参謀、源田実中佐でありました。
その研究のため、源田中佐は加賀の私室に一週間閉じこもったのでした。

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