タミヤ1/700 「矢矧(最終時)」


阿賀野型軽巡の三番艦で、大和の沖縄特攻時の随伴艦として有名です。
阿賀野型は日本の軽巡洋艦の中で一番最後に出来ただけあって、武装の充実と合理的なデザインで、とても魅力的だと思います。

マリアナ沖、レイテ沖等の海戦を戦いぬいて来た矢矧とはいえ、沖縄特攻という過酷な作戦の前にはどうすることもできず、大和よりも先に沈んでしまいました。
それでも沈むまでに受けた魚雷が7〜8本(他に爆弾十数発)という耐久性は艦の優秀性を表しているのではないでしょうか

矢矧の艦長に関する話ですが、2006年の洋上慰霊祭でこんな話が出ていたので、引用させていただきます。
矢矧の甲板士官だった大坪寅郎さんの証言です。

出撃前の45年4月5日、指揮官会議から戻った矢矧の原為一艦長は副長と大坪さんの2人を呼び、「水上部隊として(海上特攻という)このような任務を付与されるとはまったく想定していない。必ず沈む覚悟で奉公しなければならない。これから私が言うことを急速に準備せよ」と命令を言った。
その命令とは艦内にある応急用の角材を甲板にあげ、すぐほどけるように細いひもで結びつけておく、という内容だった。そして「乗員をできるだけ助けるのだ」と付け加えた。
旧海軍では負け戦を前提にした行動や発言は絶対に禁止だったから、大坪さんは艦長の発言は意外に聞こえたが、角材を人目につかないように後部甲板に置いた。矢矧は沈没し、乗員949人中、半数以上の503人が救助された。
大坪さんは「矢矧の生存者が意外と多いのは角材のおかげだと思う」と結んだ。


原為一艦長は、駆逐艦艦長時代から合理的な精神で戦果を上げてきた人ですが、無益な死というものが軍にとって(おそらく国の将来にとっても)最も深刻な損失であると考えていたようです。


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